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常陸秋そばと佐竹寺 [催し物]

昔この地を支配していた佐竹藩が出羽の国(秋田)へと国替えとなり、それに伴い水戸には美人が居なくなったという噂があります。本当なのかな?
12日の日曜日、2年ぶりに常陸秋そばフェスティバルの新蕎麦を食べに出かけてきました。
朝はとても寒くて風も強く、現地へ来てこの格好では失敗したと思いました。
広場では伝統芸能の秋田の竿灯が行われていました。危ない~強風で何度も倒れましたね。
常陸太田市、秋田市、仙北市の3市が連携交流を行い今年で10周年を迎えるそうです。

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常陸太田市役所へ車を停め、そこからシャトルバスが会場まで運行されています。
もう何十年も前に建てられた大きくて立派な庁舎です。水戸市役所や日立市役所は東日本大震災で使えなくなってしまいましたよ。当時はこんな立派な建物が必要なのかなと思ったりもしましたが。大正解です。
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庁舎内には秋田の竿灯と仙北市の角舘祭りのやま行事の曳山が展示されています。
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つい先日、お蕎麦を食べたばかりですが、新そば粉で打った蕎麦は今年初めてです。
何十件もあるお店のなかでどこで食べるか迷いましたが、一食目は常陸大宮市の「常陸そばの会」が打った蕎麦を食べることにしました。
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お蕎麦が幾分太目な食感です。このほうが新蕎麦の香りが引き立ちます。
ここの蕎麦は美味かったですね。出汁はいつまでも本枯れ節の余韻が残ります。
水蕎麦というものがありますがこれはいただけません。蕎麦と出汁がマッチしての相乗効果なんです。
うな重にタレがかかっていないようなものです。
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次に向かったのが福島県会津山都蕎麦の「蕎邑」
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2年前に食べて美味かったのを覚えています。スタッフも同じ面々ですね。
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蕎麦は美味かったが出汁がねぇ。甘めの出汁です。
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帰り道、佐竹寺が真正面に見えたので立ち寄ってみました。

佐竹寺は、鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山、あるいは、寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。
創建当初は、鶴ヶ池の北に位置する観音山にあったが、天文12(1543)年に兵火によって焼失、同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの、佐竹氏の秋田移封にともない、その寺運はしだいに衰えていきました。
本尊の十一面観音像は、安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で、坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから、巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで、正面中央には唐破風が設けられており、正面の火頭窓や柱、組物など、あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された、常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。~常陸太田市観光HPより

仁王門および仁王尊像は江戸時代中期の宝永5年(1546年)に建立され、昭和14年近火類焼した仁王門は昭和15年に再建されました。
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本堂正面の大イチョウ、ここの銀杏が一袋200円で無人販売されていました。
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本堂は茅葺き寄棟造りの国指定重要文化財
お参り賽銭箱の上側に撮影禁止の張り紙が...
内部の火頭窓や柱、組物などが撮影禁止なのだとかってに理解しました。
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駐車場反対側の無人直売所、お寺さんとは関係ありません。
昔懐かしお手玉や黒米・香米などを売っています。
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各々100円で購入、1割ぐらい混ぜて炊くと赤米はピンク色のごはん、
黒米を混ぜると灰色ではなく、お赤飯のような色になるそうです。
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コメント 2

旅爺さん

佐竹藩が美女達を秋田に連れて行ったので秋田美人が出来たんですね
秋田の竿灯は楽しめる詩見応えがありますね。蕎麦も良いですね。
by 旅爺さん (2017-11-14 19:41) 

旅爺さん

昨日はあちこち車で走って観光地に着いたら満員!”
次の所も満員!”どんどん進んで奥久慈の吊り橋を見に行ったら。
ここも凄い人出でした。
by 旅爺さん (2017-11-16 09:02) 

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